時間よ、止まれ!

私が初めて時間を止めたのは4、5歳の頃だった。
私の家は旧家で、良く目にするご先祖様の写真が襖の上の壁に立て掛けられた座敷が二間設けられていた。そこで、晴天の昼下がり、お子様にありがちな昼寝をしていたのだが、ふと目覚めると、
「何だろう?何かが違う。」
「うんっ?」
すべての映像と音が止まり、その静寂の中に、動く個体が一つも存在していないようだった。怖くなった私は、
「ばあちゃん、ばあちゃん、、、」
と言って、家の外に駆け出した。
庭には、その空間に静止しているオニヤンマを見つけたが、それよりは、今はしゃがんで草取りをしているばあちゃんの姿の方へと急いで駆け寄った。もちろん、微動だにしないその個体に、
「ばあちゃん、、、」
半分泣きながら、右奥歯を少し食いしばった。その瞬間、、、
「うんっ、どうした悠人?」
ばあちゃんが私に話しかけると、恐らくほっとしたのだろう。それから一年分ぐらい泣きじゃくったことを記憶している。
「よーし、よし、よし。」
ばあちゃんは土まみれの手で私を抱き寄せた。
・・・・・・
実は私のこの記憶は自身の引き出しの奥底へとしまい込んでいた。
この記憶の封印が切られたのは偶然だった。小学六年生のスポーツ大会、ドッジボール競技でのことだった。
六年一組と三組の対決は佳境に入り、コート内に残ったのは、私と三組のコウちゃんの一人ずつになっていた。私と外野の仲間とのボールのやり取りでコウちゃんを追い詰めていたが、外野のてっちゃんが私の送ったボールが少し低くコウちゃんがそれをジャンプしてキャッチ。私はその恰好の餌食になろうとした瞬間。
「あっ!」
と私は左の奥歯を噛みしめた。次の瞬間、すべてのモノが静寂に包まれた。もちろんコウちゃんが放ったボールも私の目の前で停止した。私は、この三次元、いや時間もあるので、四次元空間に留まったボールに触れた。私が触れるとそれは微かに動くことを確認した。しかし、コウちゃんの利き手ではない左腕を少し動かそうとしたが、これは動かなかった。
『なるほど。生あるものを四次元的に動かすことはできないが、無機質なモノは四次元空間の中で動かすことができるのか。あ~、そう言えば、小さい時にこれと同じことが起きたことがあったな。思い出したぞ。あのとき、どうやって元の世界に戻したかな?ばあちゃんに抱きついて、、、あ、そうだ。奥歯を噛みしめったっけ。』
全国的にも有名な私立中学に、恐らくトップクラスで合格した当時のわたしは、自問自答してこのシステムの操作方法を解析したことを記憶している。
私はそのあと、ボールをファンブルしないように、しっかりと自分の胸の中に収め、奥歯を噛みしめた。そして、しっかり取られたボールを右手に持ち替え、
「わ~っ」、「お~っ」、
などの友達の感嘆の声がハーモニーを奏でる中、私は直ぐに目の前のコウちゃんにボールを放った。
「やったっ~!」
私も一組のみんなもハグをしたり、ハイタッチしたり、みんなで勝利を喜んだ。男子のソフトボール競技が二位、女子のバスケットボール競技でも優勝した一組が総合優勝したことは良い思い出でもあった。この記憶も「スポーツ大会優勝」の記憶として刻まれ、「時間を止める」能力が自分にあるという記憶は封印されていた。
・・・・・・
あれから十二年後、凜ちゃんとの初デートの日の出来事である。信号のある交差点で、二人で待っていたところ、歩行者用信号機の「進め」にしたがって、少女の乗る自転車が進もうとしたところに、信号無視したトラックが突っ込んできた。
「あっ!」
私は咄嗟に奥歯を噛みしめた。すると、例のごとく辺りは静寂に包まれた。
『どうする?』
『このままでは、少女ははねられてしまう。しかし、生あるモノは確か四次元空間を動かすことができなかったはず。しかも、隣には凜ちゃんがいるので、明らかに疑問が生じるような時空の変更はできない。さあどうする?』
ダメもとで、少女の乗る自転車を動かしてみた。ずずぅ~っと、後ずさりするではないか。そうか、あくまで自転車としての座標は変えることができるんだ。私はしっかりと少女の自転車の荷台を、不自然な形にならないようにしっかりと掴んで、右奥歯をしっかり噛みこんだ。その瞬間、生きとし生けるもののすべての時計が再び刻み始めた。
「きぁっ。」
自転車をいきなり止められた少女が叫んだ。凜ちゃんも含め、その交差点にいたすべての人が振り返った。そして、信号無視して走り去ったトラックを目の当たりにして、
「えっ、えっ。」
「うそだろぅ。」
声に出した者、心の中で思った者、そして、荷台をしっかり握る悠人に気付いた凜ちゃんが普通に、
「悠人くん、ナイス!」
と小さなガッツポーズと共に、びっくり顔と笑顔のミックスを向けてくれた。
最初、びっくりしたその少女は、
「すみません、有難うございます。。。」
そう言葉を残してその場を立ち去った。
しかし、この時、私は気付いていなかった。このシステムにはまだ秘密があることを。

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