ラビリンス(迷宮)

「危なーいっ!」
「いやっー・・・」
母親の叫び声が響く中、浩一はその子を歩道へと突き飛ばした。
ドォンッ。鈍い音と共に浩一は交差点に倒れた。。。
・・・・・・・
どのくらいの時間が経ったのだろう。浩一は、そっと目を開けると、白い壁、いや、どうやら白い天井が目に入った。
浩一は、勉強がそこそこできて有名私立中学に合格し、スポーツも人並み以上にはでき、それでもってゲームもちょっとだけ得意という小学6年生の児童である。しかし、状況が状況だけに、ここでは「平均的」な普通の小学生の反応を示した。
「あれ、どうしたんだったけぇ?あ、そうか、小さいこどもを助けようとして、、、あ、俺は。。。」
通常、こういう場面では、
「先生、先生、浩一くんが目を覚ましました!」
という看護師さんの言葉で物語が始まるはずなのだが。。。
「目を覚ましたかい?坊やぁ。」
何やら黒い影のような物体が、話しかけてきた。
『ひょっとして、悪魔?』
浩一は頭の中だけで自問自答した。しかし、悪魔と言えば、骸骨のような顔つきで、黒いマントを羽織って、大きな鎌のようなモノを持っている、浩一にはそんなイメージしかなかった。そこにいる物体は、人の形をしているかどうかさえも怪しい、黒い、まさしく物体であった。
「俺が、『悪魔』であるかどうかなんてどうでも良い。」
「え、頭で考えたことが分かるの?」
浩一はいぶかったが、続けてその物体は言葉をつないだ。
「坊やは人間の世界で良いことをした。でも、結果はご覧の通りさぁ。このまま行けば、坊やは死んで、『安定』な世界へと導かれる。」
一呼吸置いて。
「でも、良いことをした坊やにはチャンスが与えられるんだ。『チャレンジ』と言って、このミッションをクリアすれば、元の世界に戻れるんだ。でも失敗すると、やはり坊やは死んで、その結果、今度は『不安定』な世界へと導かれることになる。どうする、坊や?」
「『安定』、『不安定』?いわゆる『天国』、『地獄』ってことか。」
浩一は、頭の中で考えることを止めて、心の声も口に出した。
「俺はどっちだって良いんだぜ。決めな。」
黒い物体はそう言って、しばらく待った。
「『チャレンジ』って?」
「なーに、簡単なことさ。ここに10枚のカードがある。ここに書いてあるミッションをクリアするだけさ。」
「俺はやさしいからな。全部のカードをあらかじめ見せて、坊やが好きなモノを選んでも良いんだよ。」
「恐らく、もうここからゲームが始まっているに違いない。見てチャレンジと見ずにチャレンジの、本当は20種類のゲームに違いない。確率の高い、見ずにチャレンジにするか?」
「いや待てよ。このままだと『天国』にいけるんだよな。うーん、パパ、ママ、詩織にもお別れもできずに死んでしまうのか。まゆみちゃんにもまだ告白していないし。告って振られても、将来再会して結婚ということもあるかも知れないし。。。」
悪魔はとても忙しい。
「じゃあ、見ずにチャレンジで良いんだな。」
浩一の迷いを打ち消すように、浩一の前に10枚の裏返しのカードが出された。
身動き一つできなかったはずの右手は軽々と動き出し、右から3番目のカードを引き出した。そこには、
『これからあなたが事故に遭う日が繰り返されます。自分の力でその事故を回避せよ。このカードを見ずにチャレンジしたあなたにはそのチャンスが365回(1年間)与えられる。』
と書かれていた。「見てチャレンジ」だと、恐らく1回のチャンスしか与えられなかったのだろう。いろんなゲームをしていた浩一はこうしたトリックを解くのには秀でていた。
「じゃあ、スタートだ。俺は成功した時には坊やの前にはもう現れない。じゃ、失敗を祈る!」
「最後は、『成功を祈る』じゃ、ないんだ。なるほど。」
『チャレンジ』ゲームが勝手にスタートした。
今日は、2024年2月29日木曜日(1日目)。浩一の身体は五体満足で健康そのものに戻っている。今日は少し底冷えする、雲一つない晴天。記憶通り。いつも通学団で遠山台東小学校へと向かい、午前中のドッジボールの体育の授業や算数の総復習テストなど、記憶の通りに進み、フルーツポンチとあげパンの強力ツートップの豪華給食も同じだ。午後の合唱の授業などを経て、通学団で帰宅するのは一緒だ。それから自転車で塾へ向かうのも一緒だ。
そして例の交差点に差し掛かった。例の親子連れがいる。気付かなかったけど、もう一組の親子連れと話していたのか。もうすぐ、一人のこどもが飛び出すことになる。
実は、浩一は授業を受けながら、この場面をシミュレーションしていた。365回もチャンスがある。まずは、『何もしない』ことにチャレンジしよう。
子供が交差点に飛び出す。母親が気付く。運転手も気付く。運転手がハンドルを切り、そのクルマは、交差点待ちする浩一に向かって、、、ガガガガガガッ・・・ドォンッ。
今日も、2024年2月29日木曜日(2日目)。浩一は目が覚めて、自分の身体を確認した。傷一つない状態に戻っている。頭も身体も冴えている。
今日は生活パターンを変えてみよう。少し遠回りになるけど、事故に遭う交差点を通らない作戦にしよう。どこの交差点でも子供連れの親子には出会わない。
「よしっ。」
浩一は心でガッツポーズ。颯爽と塾の駐輪場へと力強くペダルを踏んだ。その時、昨日まではなかった道路の段差にハンドルを取られて自転車ごと転んで、縁石に強く頭をぶつけた。もうその瞬間から記憶がない。。。
今日も、2024年2月29日木曜日(3日目)。ベッドで目覚めた浩一は、そのままの体勢で天井を見上げた。
「なるほど。」
ゲーム通の浩一は、すぐに合点がいった。恐らく、悪魔のターゲットは元々、俺だったのだ。今日は塾を休んでみよう。ママをどうやって説得するかが問題だが。。。まあ、超名門私立の貴城中学校に合格して、中学準備講座なので何とでもなるな。その日、浩一はママを説得して塾を休んで、帰宅後は家の中で過ごした。ぐらっ、ぐらぐらぐらぐら・・・ドドーンっ、グラグラグラ、ガシャーンッ。震度7の直下型地震に見舞われ、浩一は押しつぶされた。
・・・・・・
今日は、2024年2月29日木曜日(365日目)。もうあるとあらゆるパターンを試し尽くした感がある。浩一は、①塾通学の交差点解決型、②塾通学の非交差点解決型、③塾回避の家中解決型、④塾回避の家外(友達の家など)解決型の四つのパターンに分けてトライアルを続けていた。
「いよいよ、最後の日だな。結局、ミッションをクリアすることはできそうにないな。」
浩一は、そっと目を開けて自分の部屋の天井を見上げた。自分でも驚くぐらい冷静に、自分の「死」に向かい合った。それと同時に、何かし忘れている、ゲーム「勘」のようなモノが頭をよぎった。
『隠し要素かも?』
ゲームのコントローラを放置したり、行く必要のない場所に行ったり、ある場面で写真を撮ったりすると、ゲームに隠された謎へと誘われる、そう、それだ。
『2月29日のゲームの中でこれに近いこともやった気はするが。。。でも、何か根本的な何かをし忘れているような気がする。。。』
「そうか。いきなり、2024年2月29日木曜日(1日目)が始まったので、それがゲームだと思い込んでいたのかも知れない。」
それは、実は仮想空間、夢幻、迷宮。そこでゲームをしないこと自体が解なのでは?ゲームの中ではすでに目を覚ましていた浩一だが、これは迷宮で、実在しないと強く心に念じて、全身全霊で、自分の瞼をもう一回ゆっくり上下に開いた。開くじゃないか。
浩一がそっと目を開けると、白い壁、いや、どうやら白い天井が目に入った。また、実際の壁には、風景写真が載った2025年2月のカレンダーが掛けられていた。そして、
「先生、先生、浩一くんが目を覚ましました!」
という、こうした場面で良く目にする看護師さんの言葉が浩一の耳に届いた。。。
その頃、病室の窓の外では。
「やれやれ、ミッションクリアか。365日がこれで全部パア―か。」
「まあ、良い。次の獲物は五万といるからな。」
その黒い物体は、颯爽と次の獲物へと向かった。

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