21XX年、ここ日本の長野県の山奥に、人知れずたたずむ建物がある。新薬の創製に取り組むエプシロン研究所である。そこの所長のオメガ博士は、今日も実験室で研究用マウスを用いた新薬の研究に取り組んでいる。博士の狙いは成長促進剤の開発だ。特に今回の試薬は、これまで世の中に存在しなかった新物質だけで構成された、博士が期待を寄せる一品となっている。ところで、博士の身長は162 cm。もう少し、あともう少し、背が高かったら。。。この思いで青春時代をずっと過ごしてきた。昔はシークレットブーツなるもので、10 cm以上も背を高く見せることが流行った時代もあったようだが、ブーツを脱げば、、、すぐに身長がばれる。
「永久的に身長を伸ばしたいっ!」
そんな、みんなの夢をかなえる創薬に博士は取り組んでいたのだ。
この時代の創薬研究は21世紀では想像がつかないくらい発達し、人工知能(AI)や全自動実験は当たり前で、実験計画から生体実験、評価解析、スクーリング、さらに元に戻って、実験計画をコンピュータとロボットが自律的に実施していた。
「それでは博士の出番が無いじゃありませんか?」
と疑問に思われるかも知れません。たとえ話をすると、あなたの実家の庭をいくら掘っても「ゴールド」は出てきませんが、『「佐渡島」を掘りなさい。』と命令したり、『オーストラリアのカルガリーを掘りなさい。』と指示したり、たまに『マリアナ海溝を掘りなさい』と外乱を与えたりするのが博士、人間の役目としてはまだ残っていた。いずれこの仕事もコンピュータが行うかも知れないと思うと少し末恐ろしいのですが。話を元に戻そう。
チロリロン、チロリロン。
実験管理室に電子音が鳴り響いた。
「ついに、できたかっ!」
博士がモニターに飛びつき凝視した。
「おー、2 mm縮んでいる!」
縮んでいる?ここ数年、まったく研究用マウスの体型に変化が無かったのに比べれば前進だが。
「よりによって縮むとは。人間に換算すると約2 cmも縮む大発見ではあるが、、、」
「『縮む薬』か?失敗かぁ~。ふう~っ、、、」
博士は大きなため息をついた。実は、研究費が底をつき、研究所の存続が危うくなっているからだ。
「この薬を使って、何かできないかなぁ~。」
ふと、博士は始まったばかりの長野で開催中の冬季オリンピックで、若い頃から大好きなスキージャンプを3次元テレビで観戦することにした。ちなみに、この時代の3次元テレビは、VRゴーグル等、何も装着せずにジャンプ会場にいるような臨場感で観戦が可能になっていた。バーチャルで会場に立った博士は、平和な社会の推進を目指すオリンピックの精神が22世紀も健在であることに心の中で感謝し、今後も永く続くことを祈った。
さて、スキージャンプ会場では、選手たちはジャンプ台に登る前にジャンプスーツ着脱ゲートを通らなければならない。このゲートでは、選手の体型を自動計測して、そのままジャストフィットのスーツがその場で製作され、そのまま自動で選手に装着される仕組みになっている。一度装着したスーツは、この着脱ゲートを通過しない限り脱ぐことはできない。
博士はつぶやいた。
『そう言えば、スポーツ年鑑で見たが、21世紀の冬季オリンピックで、スーツ規定違反で大混乱となった、、、そんな時代もあったようだな。現代では絶対に起こり得ない事件だな。』
『うん、待てよ。と、言うことは、スーツの検査は今の時代、行われていないということか。』
「しっ、至急、オリンピックジャンプ会場へ!」
博士は叫んだ。博士が座った椅子は室内、廊下を自動で移動し始め、ドローンドッグへと向かい、そのままドローンへと収納されて自動でジャンプ会場へと飛び立った。
ジャンプ会場に到達した博士は、たまたま面識のあったデルタ選手を呼び止めた。
「デルタくん、やっと完成したよ。薬が。」
「身長を伸ばす薬でしたっけ?」
「いやいや、『縮める薬』だよ。これを飲めば、相似形で約2 cmだけ身体の全体を縮めることができるんだ。それで、スーツに余裕ができて、浮力が増し、君の力だとヒルサイズさえ超えることができるかも知れない。良いかい、スーツ着脱ゲートを通過した後、これを飲むんだよ。」
「分かりました。」
デルタ選手は、半信半疑で返事をして、博士が言う通り、ゲート通過後にその薬を飲みこんだ。
「うん、確かに、縮んだような。」
デルタ選手の出場は、全選手の最後だ。これで金メダルが決まる、大事な2回目のジャンプだ。デルタ選手の順番が来た。風はきれいな向かい風。絶好のコンディション。コーチの旗が振り降ろされた。
「飛び出し、飛形もきれいだ。伸びる、伸びる、おーっ、ヒルサイズを超えた!最後に大ジャンプです。デルタ選手、金メダルぅーーー!」
解説者の言葉が弾んだ。デルタ氏もガッツポーズ。
「おや、審判団が集まっています。デルタ選手と共にコントール室へ入って行きます。」
「何が起こったのでしょう?」
「あ、今、情報が入りました。どうやらスーツ規定違反を疑われているようです。元メダリストのアルファさん、この規定ってまだ生きているんですか?」
「現代では形骸化していますが、残ってはいます。」
どうやら検査官も分厚いマニュアルを引っ張り出して、それに基づいて、デルタ選手を計測している模様です。」
「スーツ着脱ゲートを通過しているので、不正は起こらないのでは?」
「私もそう思うのですが、、、」
とアルファ氏もいぶかった。
その頃、博士は、
「想定外だ。どうしよう?計測されたら、終わりだ。。。」
「あ、情報が入りました。金メダルです。デルタ選手、待望の金メダルが決まりましたぁ~!」
「どうやら、何も問題もなかったようです。」
その頃、博士は、
「あれ、おかしいな。小さくなっているはずなのに、、、」
ピロリン、ピロリン。手の甲に埋め込まれたスマートフォンが鳴って、『縮む薬』の最新レポートが送られてきた。
「人間に換算して、1.8 mmの縮小効果あり。その縮小状態の維持時間、10.4秒。人体への副作用なし。」
そう、デルタ選手は薬を飲むには飲んだが、ジャンプする時にはいつもの身体の大きさに戻ってしまい、それにも関わらず、これまで飛んだこともないヒルサイズを飛んでしまったのだ。まさしく、『鰯の頭も信心から』、だろうか。オメガ博士は、あろうことか、研究用マウスがわずか約10秒で元に戻ってしまったことを見落としていたのだ。博士は研究者として、もう少し、あともう少し、研究結果を見直せば良かったのだ。当の博士は、そんなことは気にも留めることなくつぶやいた。
「これで結果は出た。この薬を、『100%以上、実力を発揮できる薬』として売り出そう。よしっ、これからひと儲けだ。」
博士は、颯爽とジャンプ会場を後にした。
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